2016/3/8

1.100年続いた理由

1913年、松浦薬業の前身である尾張の生田屋系の生薬問屋が、名古屋の薬問屋街京町の一角に店を構え、主として長野・岐阜・新潟・奈良・北海道等の各種生薬・艾と沖縄・台湾の海人草やウコン等を集荷して、医薬品メーカー及び薬局に供給してまいりました。
特に愛知県特産でわが国の民間薬解熱剤の地竜は全国へ供給しておりました。

戦後の'52年、株式会社松浦真一商店として法人組織とし、'62年に松浦薬業株式会社に社名変更いたしました。
初代社長の松浦真一は、品質格差が大きい天然物においては品質第一をモットーとし、価格が高くても良い生薬を扱い、取り扱うものは弊社が責任を持てるもののみとして信用第一を重んじてまいりました。

第2代社長の松浦敬一は'61年社長に就任しましたが、当時中国とは国交が無く民間貿易も停止した状態でした。中国の周恩来首相が日本国民の保健のため甘草を配慮物資として輸出したのを契機に友好商社制度が発足し、弊社は’62年に友好商社に推薦され民間貿易が再開され、数少ない輸入拠点として生薬を国内に供給してまいりました。この制度は国交が回復した'72年まで続きます。

戦前からの生薬選別・加工・小分けに加え、昭和30年代からは漢方薬の製造を手掛け、一般用医薬品、医療用医薬品、原薬(軟エキス、乾燥エキス、流エキス、チンキ、粉末等)製造へと拡大しています。また厚生科学研究のご指導を受け、生薬成分標準品の製造を行い市場に提供しています。

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